こんにちは。
怨霊大博士づかです。
今回は東京都文京区に鎮座する白山神社を読み解いていきます。
白山神社(はくさんじんじゃ)とは
先ずは白山神社をご紹介しましょう。
白山神社は、東京都文京区白山に鎮座する神社です。東京十社のひとつとして扱われいます。
6月の中旬頃に紫陽花が咲き乱れることでも有名です。
旧称は白山権現と呼ばれていました。
歴史
歴史としては、天暦2年(948年:平安時代)、加賀国(現在の石川県)の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に創建されました。
元和年間(1615年-1624年)に将軍徳川秀忠の命で巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移ったが、明暦元年(1655年)、その地に館林藩主徳川綱吉(後の5代将軍)の屋敷が作られることになったため、現在地に遷座しています。
祀られている神さま
主祭神
- 菊理姫命(くくりひめのみこと)
- 伊弉諾命(いざなぎのみこと)
- 伊弉冊命(いざなみのみこと)
ご利益
主に縁結び・復縁・商談成立のご利益があるとされています。
縁結びのご利益は伊弉諾命と伊弉冊命から来ています。
復縁、商談成立のご利益は菊理姫命に由来があります。
さて、ご利益からも気になる菊理姫命とは、どの様な神さまなのかご存知でしょうか?
余り聞いたことがない神さまかと思います。
菊理姫命
菊理姫命は「古事記」や「日本書紀」の本伝には書かれておらず、異伝である一書に一文だけ出てくるのです。
こちらが原文
及其與妹相鬪於泉平坂也、伊弉諾尊曰「始爲族悲、及思哀者、是吾之怯矣。」時、泉守道者白云「有言矣、曰、『吾、與汝已生國矣、奈何更求生乎。吾則當留此國、不可共去。』」是時、菊理媛神亦有白事、伊弉諾尊聞而善之。乃散去矣、但親見泉國、此既不祥。
(一般的な)解釈文
その妻と泉平坂で相争うとき、伊奘諾尊が言われたのは、「当初、あなたを悲しみ慕ったのは、私が弱虫だったのだ」
このとき、泉守道者よもつちもりびとが申し上げて言ったのは、「伊奘冉尊のお言葉がありまして、『私はあなたともう国を生みました。どうして更にこの上生むことを求めましょうか。私はこの国にとどまって、ご一緒には参りません』と」
このとき菊理媛神が申し上げられることがあった。
伊奘諾尊いざなぎのみことはこれをお聞きになり、褒められた。
ただし、自ら黄泉の国を見たこと、これが不祥であった。
この一文だけ…
申し上げたって…何を申し上げたのでしょうか?
もう一つ気になる点があります。
日本書紀一書の原文にある「菊理媛神亦有白事」を「菊理媛神が申し上げられることがあった」と訳していますが「白事」を「申し上げる」と訳すのはちょっとおかしいです。
だいたいは「日」、「日く」→「いわく」と書かれています。
「白事」とは本当に「申し上げる」ことなのでしょうか? そして何を言ったのでしょうか?
白事は白山の「白」や「白山比咩神社」の「白」とも連想しできます…いったい白事とは何なのでしょうか?
さて、今回の謎解きは以下の三点です!
- 白事とは何か?
- 白とは何か?
- 菊理姫は何と言ったのか?
では、読み解いていきましょう!
先ずは背景となる情報を掘り下げたり、拡張していかないと納得がいかないかと思いますので、イザナギとイザナミが喧嘩をする黄泉平坂の物語をお話していきます。
1.白事とは何か?
泉平坂(黄泉平坂:よもつひらさか)の物語
では、泉平坂で何が起きたのかをお話します。
記紀の物語から、イザナギとイザナミは数々の神さまを産みだしてきました。しかし、火の神である火之迦具土 (ひのかぐつちのかみ)を産んだ際にイザナミは火傷を負って亡くなってしまします。
それに怒ったイザナギはヒノカグツチを斬り殺してしまうのですが、イザナギはイザナミのことをどうしても忘れられず、イザナミを追いかけて黄泉国(よみのくに)まで行ってしますのです。
黄泉国でイザナミと出会ったイザナギは、彼女に声を掛けます。しかし、イザナミは「私は既に黄泉国の食べ物を食べて穢れてしまったので、姿を見ないで欲しい」と訴えました。ところがイザナギはこっそりと火を灯してその寝姿を見てしまうのです。
すると、言葉の通りイザナギの体中から膿が湧き、しかも蛆(うじ)までたかっていました。それを目にしたイザナギは驚いて「汚穢(きたな)き国に到(き)にけり」と慌てて逃げて帰ろうとしたので、イザナミは私に恥をかかせたと激怒したのです。
そこで、イザナミは鬼女(泉津日狭女:よもつひさめ)たち八人を遣わして、イザナギを追いかけさせました。イザナギは剣で振り払いながら自分の髪に巻いていた蔓草(つるくさ)の飾りを投げました。すると、それが葡萄になり、鬼女が食べている間に逃げます。しかし、葡萄を食べ終わった鬼女たちはまた追いかけてきます。
今度は櫛を投げました。すると、これが筍になって鬼女たちはまた筍をむさぼり食べました。その間にイザナギは逃げます。
そうすると鬼女たちの後ろからイザナミが追いかけてきたのです!
イザナギは泉平坂(黄泉平坂:よもつひらさか)まで至ると必死に道を塞ぎ、こんりんざいイザナミと縁を切ると断言しました。
するとイザナミは「そう言うなら、私はこの国の民を毎日千人ずつ殺すだろう」と誓いました。そこでイザナギは「そうであれば私は毎日千五百人ずつ子供を産ませよう」と答えて結界を張りました。
このとき、菊理姫神が現れます!
そして何かを口にして去っていたのです…
すると、イザナギはその言葉を非常に誉め、日向の橘の小戸の阿波岐原へ行き、そこで禊ぎ祓いをしました。因みに禊ぎによって生まれた神の中に天照大神、素戔嗚尊、月詠尊の三貴神がいます。
随分と心無いことをしたイザナギ…イザナミも怒って当然の状況でしょう。最後は喧嘩の言い合いです。酷いものです。そこで菊理姫は何を言ったのでしょうか?何故、イザナギは菊理姫を褒めたのでしょうか?
もっと深堀していきましょう。
白山比咩神社
次に菊理姫とはどの様な神さまなのでしょうか?
白山神社の総本社を調べてみましょう。
白山神社(文京区)は全国に2,000社以上鎮座しています。その総本社は石川県白山市三宮町に鎮座する加賀国一宮の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)です。
白山比咩神社は石川県・岐阜県の県境に立つ山麓に鎮座しており、霊峰白山を神体山として祀る神社です。
元は、手取川の畔(現在の古宮公園)に鎮座していたが、室町時代に火災で焼失し、現社地に遷座しています。
霊峰白山の山頂には奥宮があり、奥宮を「白山本宮」と呼び、山麓の社殿を「下白山」と呼ばれていました。
広範囲の地域を白山比咩神社が治めていたのが分かりますね。
そして、白山比咩神社の祭神はこちらです
- 白山比咩大神(しらやまひめおおかみ)→菊理媛神と同一神とされる
- 伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
- 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
また、白山は霊峰でもある為、白山信仰が盛んでもあります。
そして、昔の鎮座地である、手取川が有名であり、その上流には、昔からイワギク、リュウノウギク、ヤマシロギクなどの野生菊が群生しており、その滴りを受けて流れる手取川の水は菊水として尊ばれていました。
菊水が尊ばれるのは中国の仙道の影響で、菊の滴を集めた水は特別の力があり、不老長寿の薬になると信じられていて、この菊水で醸造した酒「菊酒」がとても有名です。
白山神社の不老長寿は有名で平安時代にこのような歌も詠まれています。
壬生忠岑(みぶのただみね)という9世紀半ばから10世紀前半頃に「三十六歌仙」の一人とされた歌人です。身分の低い武官の家柄の出で、終生官位にはめぐまれませんでしたが歌人としては早くから才能を認められ、紀貫之(きのつらゆき)とともに『古今集』の撰者に抜擢されています。
その壬生忠岑の歌で…
命にも まさりて惜しくあるものは 見果てぬ夢の覚むるなりけり
命よりも惜しいと思うことは、愛する人との逢瀬(おうせ)の夢をおしまいまで見ぬうちに目が覚めてしまうことであった。そんな歌をのこした忠岑ではあるが、老いを迎えると、身分が低いままに歳をとっていくのを嘆いて、次のように述べている。
「さすがに命は惜しいもので、越(こし)の国(北陸)の白山(しらやま)にあると伝え聞く不老不死の薬を手に入れて、何度も若返って帝の御代(みよ)を幾代(いくよ)にもわたって見たいものだ」。
この言葉からも白山は不老不死・不老長寿で有名であったことが分かります。
白山祭りと白山入り
また、加賀国ではないのですが、三河国の奥三河にある白山神社には「花祭り」という祭りがあり、その原型は「白山祭」と呼ばれているのです。
奥三河の古戸(こっど)白山の場所はこちら
どの様な祭りかと言うと…
先ずは、祭り前に舞庭(まいど)と三途の川と白山に見立てた場所を作ります。
舞庭:四隅に柱が立てられた3m四方の土間のこと
白山:白い紙によって作られた方形の建物で、床には木綿が敷き詰められている。
祭りの日はお神楽による儀式が行われ、祈願者は白装束(死装束)に着替えて、舞庭から架空の三途の川を渡って白山に入ります。あの世(彼岸)に行くってことですね。
これを白山入りと読んでいます
あの世に行った祈願者(疑似死者)は悪鬼の地獄の責め苦を受けます。
そして、明け方に善鬼の山見鬼を大将に鉞(まさかり)を持った、たくさんの鬼が現れて悪鬼を退治して、白山を壊し、死者(祈願者)を舞庭=現世(此岸:しがん)に連れもどす(蘇り)のです。
つまり、白山入りとは疑似死再生の儀式を表しているのです。
2.白とは何か?
白という字は神社だけでも至るところで使われています。
白鳥神社、白髭神社、白子神社など、他にも神社に関係するものとして白狐、白馬、白石など、他にもたくさんあるかと思います。
生死に関連する言葉から、仏教など穢れと捉えていた色が三つあります。
それは、赤、白、黒で、それぞれ赤不浄、白不浄、黒不浄と呼びます。
赤不浄:女性の月経
白不浄:出産による出血
黒不浄:死
白不浄は新しい命が生まれること!再生、蘇りにつながります。
また、白を「シラ」と読むと、シラは古語で「人の誕生」を意味します。
沖縄県の八重山諸島では刈り取った稲を保管するために積み上げた稲積のことを「シラ」と呼んでおり、更に南西諸島に行けば産屋そのものを「シラ」と呼んでいます。
白は生という意味が込められた言葉だということが分かりますね。
3.白事とは?菊理姫は何を言ったのか?
では、菊理姫はイザナギに向かってなんと口にしたのでしょうか?
「白事」を調べてみると以下の様に出てきます。
中国では、「白事」は悲しい葬式を指し、逆に「紅事」は幸せの結婚式を意味しています。
赤は魔よけ、吉祥、生命力の色として信仰され、中国人が最も好む色だ。白は険悪を意味する色として悪役に使う。
社会主義政権樹立後、赤は革命の色として国旗などに使われている。
しかし、菊理姫が口にした「白事」とは意味が違うように思えます。
イザナギとイザナミは激しい言い争いの最中です。
頭に血がのぼっているだろうイザナギに「お葬式しましょう!」と言っても…「誰の?」「イザナミの?」「やらねーよ!」ってなりませんかね。
そして、死からの復活を「イザナミ」為に行おうとしたのも腑に落ちません。
言い争いの最中ですからね…
イザナギが「非常に誉めた」のですからイザナギにとって利益が大きいことだったと判断してよいと考えます。
そうすると、黄泉国=死者の国(彼岸)から、命からがら何とか黄泉平坂(あの世とこの世の境目)に戻ってきたイザナギは言わば「死者」であった。生を受ける為の白山をしましょう!復活の儀式をしましょう!と言ったのではないでしょうか?
だから、その後にイザナギは日向の橘の小戸の阿波岐原で禊ぎ祓いをしたのです。
生き返れるのですから!それは最大の賛辞を贈ったことでしょう!
日本神話に登場した「禊ぎ祓い」は菊理姫が持ち込んだ儀式だったのかもしれません。
結局菊理姫は何者だったのか…
一説には菊理姫は高句麗のお姫様だとも言われています。
死に対する向き合い方が古代日本の文化とは違っていたのかもしれません。
それは、また別の機会に読み解くことにしましょう。
最後に
神の心を理解すること
支配者側の都合がいいように変えていくのが歴史であり、神社もその一部ですが、そう簡単に全ての歴史を消し去ることはできません。
賊軍側が活躍した歴史が神社の片隅や民話、伝説、風習や地名などに残っているために、神社では不思議な置物や文様、風習などが目につきのです。
その謎を読み解くことが楽しいのです。
まるでミステリー小説を推理するかのようです。
しかし、それだけではありません。
私たちの殆どが賊軍側の人間を祖先にもっていると考えられます。
神社の謎を読み解くことは祖先の声を聴くことになり、当時の状況を知り、心を理解することが本当の神社参拝だと考えています。
怨霊大博士づか