こんにちは。
怨霊大博士の裏参拝の”づか”です。
今回は伊勢について学んで頂きたと思い講座を作りました。
伊勢とは
記紀では天照大御神が垂仁天皇の皇女・倭(やまと)姫に言った言葉があります。
「これ神風が吹く伊勢国は、すなわち常世(とこよ:常に不変の世界でヨミの国のことをいう)の浪が寄せては返す国なり。傍らの国、怜むべき国なり。この国に居るを欲す」(垂仁紀二十五年三月) という意味になります。
倭姫は天照大御神の鎮座の地を探し求め、すでに数十年もの長年月、諸国流浪の旅を重ねていました。
ようやく伊勢の海辺に辿り着いた時の言葉でした。
そして、倭姫は伊勢に斎宮を建てることになるのです。
これが伊勢神宮のはじまりです。
さて、「伊勢」とはどういった意味なのでしょうか?
その語源には二説あります。
一つ目は『倭姫命世記』には「百船の渡り会する国、玉撥る(採る・拾う) 伊蘇国」と記されています。
『延喜式』神名帳には「礒神社」と見えるところから「磯」が伊勢になったという説があります。
二つ目は『和訓栞』が言うように「いせ」は「五十瀬(いそせ)」の転訛であり「川瀬の多きよりの名なるべし」とする説です。
いずれも定説とはなってませんが、今の伊勢市の市街地全体がのっぺりと平板な地形でり、大昔の伊勢神宮辺りの宮川下流の地図(下記参照)を見て分かるように宮川のデルタ地帯であり、高波や洪水が来ると海に沈む程の地域であることが分かり、それぞれの説が的を得た理由だと納得できます。
何しろ伊勢神宮が鎮座する伊勢市とは人が昔から住みやすい土地ではなかったということです。
では、天照大御神がこの地を最終鎮座にしたのは何故なのでしょうか?
畿内
違う側面からも見てみます。
畿内は「きない」や「うちつくに」と呼びます。
意味は大君(おおきみ)や天皇(てんわう)が住む都の周辺の地域を指す呼称です。
歴代の皇居が置かれた大和・山城・河内・和泉・攝津の五ヵ国を五畿内と読んでいました。
この言葉は現代の奈良県、京都府、大阪府を畿内と称したり、明治維新以降の東京周辺の地域を指す「首都圏」と呼ぶような軽い概念とは全然違います。
畿内に含まれない傍らの国は常世です。
黄泉の国だとされていたということです。
黄泉の国に「人」は住んでいますでしょうか?
因みにここで言う人は我々一般庶民を指す言葉ではありません。
時の王権や貴族、そしてそれらに従う従順な民のことを「人」としていました。
人外のもの、鬼や土蜘蛛、河童や蛙が住む土地だと差別されていたのです。
あの世の便りが常に届く地
この様に人外なるものが住む国とされていますが、以下のような言葉が残されています。
意味深な言葉ですね。
常世・黄泉の国ですから「あの世」からの便りは聞けるでしょうが、何か画策しているようにも読み取れます。
何を画策していたのでしょうかね…
天皇の伊勢親拝は明治から
古代から現代の話をしましょう。
天皇の皇祖神とされる天照大御神が祀られている伊勢神宮を参拝し始めたのは実は明治からなんです。
それ以前に歴代天皇が明治二年(1869年)に到るまでありませんでした。
それ以前は王権は伊勢との関わりを遠ざけるの感が深かった様に思われます。
皇祖神ではなかったのでしょうか?
さて、この様な史実と事実からも天照大御神とは何者なのでしょうか?
何のために伊勢の地を選んだのでしょうか?
何かを画策していたことがあったのでしょうか?
謎は深まるばかりですね。
伊勢とはとても奥が深く、そして”ちぐはぐ”がたくさんあります。
また、伊勢について語ろうと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございます。