神社の学び

杵築大社/神々を幽閉する蜘蛛いずる国とは?

社名
杵築大社
鎮座地
武蔵境(東京都武蔵野市)

ご祭神

1

大國主大神(オオクニヌシノオオカミ)

2

事代主大神(コトシロヌシノオオカミ)

歴史の裏側を読む

【出雲は幽閉の地なのか…】

出雲の地、松江藩初代の松江直政が将軍家の鷹狩場に出雲大社と稲荷神社を勧請したと言われています。
杵築大社とは今の出雲大社のことで、出雲大社と呼ばれたのは明治以降のことです。
と言うことは出雲大社も移り変わってきたということですね。

伊勢神宮も今の地に落ち着くのに40ヶ所以上も移動したと言われています。
元伊勢と言われる籠神社(このじんじゃ)は有名ですが、出雲も同様に移動してきたのです。
京都の亀岡に元出雲と言われる出雲大神宮が鎮座しています。

一説では出雲はもともとは京都にあり、その後に現在の島根県の出雲に移ったとも言われています。
出雲が先にどちらにあったのか?
という話は別に出雲の民が京都に住み、その後に現在の出雲地方に移っていったということは事実と考えられるでしょう。

そうすると「何故移住しなければならなかったのか」という疑問が湧きませんか?
あなたが仮に地元の大地主だったとしましょう。
何が理由で家を、家族を、一族を移す必要があるのでしょうか?

例えば戦いに敗れてしまい土地も権力も奪われてしまったとしたら移住しなければならない理由になりませんね。
古代の出雲の人達は時の朝廷や王権から見た場合に自分達の利益を害する立場でした。
戦か権力争かは別として敗れた出雲の一族は京都の出雲から出て行かなければならなかったのでしょう。
なにせ、出雲の地は雲が出る地…蜘蛛が出る地であるからです。
時の権力者から見た場合は蜘蛛だったのです。

さて、移住した先の出雲でも良い状況にはならなかったみたいです。
せっかく作った国も最終的には奪われてしまいますからね。
大国主命の国譲りの物語です。

京都から追い出され、出雲の国も奪われて、さぞや憎々しいでしょう。
それを封じ込めるために出雲大社があるのではないでしょうか?
現に出雲大社で大国主命を正面からは拝めない祀り方になっていますからね。
出雲大社の違った一面も面白くないですか?
この様に現地に行かないと見えない事もたくさんあります。

出雲族の別の一面を杵築大社の参拝と一緒にお楽しみ下さい。

後半です!

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