7/27 オンラインお話会@京都に幽閉された出雲の民がいた⁉出雲の謎解きお話会

7月27日(水)神社の謎解きオンラインお話会のお知らせです。

今回は京都に幽閉されていた出雲の民達のお話をします。

出雲と言えば島根県、そして出雲大社を連想するかと思います。

しかし、出雲という地名や出雲の歴史が残されている場所は島根県以外にもあるのです…

そもそも、出雲大社は”杵築”と場所に鎮座しており、以前は杵築大社と呼ばれていました。

出雲大社と呼ばれるようになったのは「明治」以降です。

そう考えると出雲大社が出雲の中心地ではなかったと推測できますね。

今回のお話は京都です。

華やかな都「京都」には古代出雲の民を幽閉されていた地区がありました…

その名残が出雲路(いずもじ)として残っています。

そして、出雲路を挟むように上御霊神社と下御霊神社が鎮座しています。

ちょっと謎めいてきましたね(*^▽^*)

⛩上御霊神社
⛩下御霊神社

さて、ここで少し調べてみましょう。

御霊とは何なのでしょうか?

御霊とは怨霊のことを指します。

「みたま」呼んで、祖霊のことを指すのでは!と言われるかもしれませんが間違っていませんが、京都の御霊神社の性格からは怨霊となります。

Wikipediaをそのまま信じるとするならば御霊神社は以下のように書かれています。

御霊神社の祭神・性格は様々で、御霊信仰に基づき、ある人物の御霊・怨霊を鎮めるために創建されたもの、祖神・先祖の霊を祀るものなどがある。Wikipediaより

京都で練り行わる祭り「御霊会(ごりょうえ)」もWikipediaには以下の様に書かれています。

御霊会は、思いがけない死を迎えた者の御霊(ごりょう)による祟りを防ぐための、鎮魂のための儀礼。御霊祭とも呼ばれる。 御霊自体は本来はミタマの意であった。平安時代、不慮の死を遂げた者の死霊(しりょう)=怨霊(おんりょう)へと意味が転化する。Wikipediaより

そして、この御霊たちは賀茂川の向こうに鎮座する下賀茂神社とも関係してくるのです!!!

☆今回のお話会の内容です

  • 出雲の民が京都にいたのか?
  • 何故、出雲路が幽閉地なのか?
  • 上御霊、下御霊神社は何故、怨霊を祀るのか?
  • 怨霊と下賀茂神社とはどの様な関係があるのか?

先月、京都を訪れたました。

実際の動画や画像と共に京の朝廷と下賀茂神社の闇を読み解きます。

☆日程:7月27日(水) 19:00~20:30

☆スケジュール(ざっくりです)
19:00~20:30まで
10分 オリエンテーション
60分 お話会
20分 質問などディスカッション

☆オンラインイベントになります。
・ZOOMで開催します。
・カメラオンでの参加をお願いします。
・参加者表明頂いた方に詳細をご連絡します。

☆参加方法
以下の申込みフォームを入力お願いします。

☆参加費
2,000円(税込)
参加表明して頂いて方に詳細をご連絡致します。

フラスコ会員の方はこちら

終了しました。

このお話会のアーカイブ動画を販売しています。

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【アーカイブ動画】オンライン!神社の謎解きお話会:京都の闇!?古代出雲族の幽閉地を語る

主催:合同会社ファンクリエーション
怨霊大博士づか

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