消された富士王朝の謎#03 三柱鳥居

宮下文書に登場する阿祖山太神宮にはとても珍しい鳥居が経っている。
三つの鳥居を三角に合わせた三柱鳥居と呼ばれるものだ。

三柱鳥居が建っている神社はとても少なく以下の神社になる。
1)京都太秦に鎮座する:木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
本来は「天照御魂神(あまてるみむすびのかみ/あまてるみたまのかみ)」を祀った神社だが今は以下の5つの神を祀っている。
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
・大国魂神(おおくにたまのかみ)
・穂々出見命(ほほでみのみこと)
・鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
・瓊々杵尊(ににぎのみこと)

また、天照御魂神は天照大神(皇祖神)とは別の神格の太陽神と考えられています。
そして三柱鳥居は境内西の元糺の池の中に建てられています。

2)長崎県対馬に鎮座する:和多都美神社(わたづみじんじゃ)
神代の昔、海神である豊玉彦尊が当地に宮殿を造り、この和多都美神社が鎮まる地を「夫姫(おとひめ)」と名付けたと言われる。
その宮殿の大きさは、高さ一町五反余り、広さ八町四方もあったといわれています。
そして神々しい神奈美「夫姫山」のさざ波よせるこの霊地に彦火々出見尊と豊玉姫命の御夫婦の神を奉斎したと伝えています。
満潮の時は、社殿の近くまで海水が満ちてくる場所に鎮座しています。

そして、三柱鳥居は参道左脇の池に三柱鳥居がある。
磯良恵比須という鱗状の岩が祀られており、磯良の墓であるといわれています。

3)東京都墨田区向島に鎮座する:三囲神社(みめぐりじんじゃ)
近江国三井寺の僧源慶が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土しました。
その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像がありました。このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを3回回って死んだ。三囲の名称はここに由来するといわれています。

そして、三柱鳥居は木嶋神社と同様の石造りの三柱鳥居がある。
この石造りの三柱鳥居は「三井邸より移す。原型は京都太秦・木嶋神社にある」といわれる。

4)京都に鎮座する:南禅寺
大寧軒の庭に三柱鳥居があるといわれるが非公開になっている。

5)東京都新宿区西新宿に鎮座する:成子天神社(なるこてんじんじゃ)
創建は903年。当時、菅原道真の死去を嘆き悲しんだ家臣が、道真の像を配流先の大宰府から持ち帰り祀ったのが始まりとのこと。

そして、三柱鳥居は境内の井戸を囲うように建てられている。

三柱鳥居は何なのか?

結論からいうと磯良恵比須(いそらえびす)=安曇磯良(あずみいそら)=磯武良(いそたける)を封じていると推測する。

何故、封じていると解釈するのか?
先ずは鳥居の本質から簡単に紐解いていこう。

神社には注連縄がある。注連縄の奥は神域と呼ばれており、同時に禁足地でもあるとされている。
禁足地とはどういった意味なのかというと「入ってはいけない場所」ではない!「入ったら出てはいけない場所」を言う。
古事記にも登場する話があり、悪さをしていた(とされる)蛇神を朝廷の人間が退治して山に追いやった。
そして杖(杭)を立て縄をはり、ここから向う(山側)がお前たちの住む彼岸であり出てくるな!出てきたら容赦しない!但し出てこない様であれば神として祀ろうという話がある。
杭を立て縄を張ったものこそ注連縄であり、鳥居である。
鳥居から奥は彼岸であり、神が住むあの世なのだ。
そして神域であり、出てきてはいけない場所…まさに封じているといってよいだろう。

磯武良(いそたける)とは何者か?

海部の祖神として筑前志賀島を中心に、海路の要所に祭られているが、記紀には登場しない神です。
名前のとおり安曇氏の祖先と言われています。
安曇氏は古代日本を代表する海人族で、全国の海人部を管掌したとして豪族として知られる有力氏族で、古くから中国や朝鮮半島とも交易などを通じた奴国の王族であったとされる。

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