日本30,000年の歴史

東京スカイツリーは1,300年前の技術で建てられている!

東京スカイツリー、高さ634m、世界で2番目に高い建築物。
ドバイのブルジュ・ハリファに抜かれてしまったが電波塔としては世界一の高さ!
その建築方法には1,300年前に建てられた法隆寺の五重の塔の技術が使われています。

何しろ日本は地震が多い国です。
その環境で1,300年も倒れることなく建っているのが法隆寺の五重の塔です。
木造建築としては世界最古の建物のひとつになります。
その建築方法には地震の揺れを制振する技術が組み込まれているのです。

五重の塔内部には「心柱」という太くて長い柱が地面から上部まで貫かれているのですが、面白いことに心柱が塔全体の重さを支えていないことです。
塔の上端のみに固定されているだけで、中間は建物とつながっていないフリーな状態になっています。

どの様なに制振しているかというと心柱を中心に各階層が蛇の様にユラユラゆれることにより力を分散させているのです。

その他にも法隆寺の五重の塔には解明されていない建築法などがあるそうですがどの様に建てたのでしょうか?

東京スカイツリーはパソコンやGPSを使って設計、測量しましたが1,300年前の奈良時代にはその様なものはありません。

当時の大工や大工を束ねる棟梁の技術は凄いですよね。

積み重ねただろう30,000年という力

棟梁と言えば日本の歴史的名工である宮大工西岡氏が日本古来の工具「槍鉋(やりかんな)」を復活されました。
飛鳥時代までの寺院建築には槍鉋が使用されていました。
鉋という名前のとおり木材を削るために使用されます。

飛鳥時代の柱の表面を削るには従来の台鉋や手斧ではなく創建当時に使用されていた槍鉋が使われていました。
しかし、槍鉋は15〜16世紀に使用が途絶え、実物もなければ使用方法も分からない幻の道具でだったのです。
当時の柱の手触りは槍鉋でなくては再現できないと、西岡氏が古墳などから出土した槍鉋の資料を全国から集めて試行錯誤し、最終的には飛鳥時代の古釘を材料に刀匠に制作してもらったそうです。

宮大工の西岡氏も凄い方なのですが、それはまた別の機会にお話したいと思います。

太古の大工は槍鉋ひとつで何でも作ってきたと言われています。

このような槍鉋として使われていただろう石器が30,000年前の地層から出土しています。
黒曜石を研いて槍鉋の歯の部分にしていたのです。

しかも、木の伐採にも使っていたそうです。
木の側面を焼いて槍鉋で削って行くのです。
これを繰り返して行くことで伐採していたそうです。

13,000年前の三内丸山遺跡もこの道具を使って作られてきたようです。
あの強大な遺跡に使う木材を槍鉋で伐採していたなんて…日本人の技術は凄いですよね。
日本人って凄い力を持っていますね!

30,000年の経験値

槍鉋の技法が今にキチンと残っていれば30,000年間の経験値があったのです。
中国4,000年の歴史なんて目じゃありません。
しかし、この様な日本の文化や技術は権力抗争や戦争などの争い、または利便性や収益性によって失われてしまいました。

30,000年間の経験値があったら凄いと思いませんか?
建物の建築方法だけではなく体の使い方や言葉や文章など凄い技術が身に付けられたら楽しいと思いませんか?

神社や神様の歴史の裏側を紐解くことは太古から伝わる文化や技術の復活につなげること、そして次の時代に伝えて行くことが私の使命だとと思っています。

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