御岩神社#01/北茨城の山奥に静かに鎮座する御岩神社に静まる荒ぶる神とは…

こんにちは。

怨霊大博士づかです。

2022年7月5日に巡る茨城県日立市に鎮座する御岩神社について語っていきます。

御岩神社(御岩神社)とは

茨城県日立市入四間町752の御岩山に鎮座する神社です。

https://goo.gl/maps/uXx9WP2qQF64t1YX9

御岩神社は創建の時期は不明です。

縄文晩期の祭祀遺跡の発掘されたことや常陸國風土記に「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」とされる事から、古代より信仰の聖地であった事がわかります。

中世には山岳信仰とともに神仏混淆の霊場となり、江戸時代に至っては水戸藩初代徳川頼房公により出羽三山を勧請し水戸藩の国峰と位置づけ、徳川光圀公(水戸黄門さま)など藩主代々参拝を常例とする祈願所になりました。

ご祭神

・国之常立神(くにとこたちのかみ)

・大国主神(おおくにぬしのかみ)

・伊邪那岐神(いざなぎのかみ)

・伊邪那美神(いざなみのかみ)

・大山祗神(おおやまつみのかみ)

ほか20柱御岩山総祭神188柱を祀っています。

有名な神々が祀られている他にも188柱の神さまがいるなんで豪華絢爛って感じですが、ここには御岩神社の本質はないと感じられます。

もっと御岩神社を知っていきましょう。

かびれ神宮

御岩神社から御岩山を1時間程登っていくと境内社の「かびれ神宮」があります。

御岩神社とかびれ神宮の位置関係

御岩神社とかびれ神宮の位置関係

ご祭神

・天照大神(あまてらすおおみかみ)

・邇邇藝命(ににぎのみこと)

・立速日男命(たちはやひをのみこと)

気になる神さまが現れました。

立速日男命(たちはやひをのみこと)とは誰?聞きなれません!

この神さまにフォーカスを当てることにしましょう。

立速日男命

常陸國風土記の久慈郡之条に立速男の語りが書かれている。

薩都(さと)の里(常陸太田市里野宮)から見て東の大きな山を、里の人は「賀毘礼(かびれ)の高峰」と呼んでいた。

ここには、立速男命(たちはやをのみこと)という天つ神が鎮まっていて、またの名を、速経和気命(はやふわけみこと)と呼ばれていた。

元は高天原から天降り、松沢という地にある松の木に鎮座していたのだが、この神の祟りは大変厳しく、その木に向かって用をたそうものなら災いをなし、病気にさせたという。
(づかの声:一般人の感情・感覚からすると当然に感じるが…)

おかげで近隣の民は常に祟りに悩まされていた。
(づかの声:この文章だけでは何に困っているのかが、さっぱり…用をたさなけれないいこと…何か後ろめたいものを感じます。)

困り果てた民は朝廷に助けを求めたところ、片岡大連(中臣鹿島連の祖、国摩大鹿島命の孫)という者が遣わされた。

片岡大連は神を奉斎し、うやうやしく上申した。

「今おいでになるこの地は百姓の家が近く、朝夜とも穢れております。神のおいでになる処にはふさわしくありません。どうか高い山の清らかな場所に避けてお移りください。」

神はその提案を聞き入れて、ついに賀毘礼(かびれ)の高峰に遷座することとなった。

その社(御岩神社)は石垣に囲まれており、境内には片岡大連の一族が非常に多く居を構えている。

また、ここではさまざまな品物・弓・矛・釜・器の類が、みな石となって遺っている。

この峰の上を飛ぶ鳥はなく、どんな鳥も急に避けるほどの霊験あらたかな神域で、それは今でも変わることはない。

このような経緯があり、現:御岩山に祀られている様です。

立速男命を祀る神社は常陸太田市にもあり「薩都神社(さとじんじゃ)」といいます。

因みに大連(おおむらじ)とは大和朝廷が作った役職のひとつです。

天皇の補佐として政務を行っていました。

薩都神社(さとじんじゃ)

茨城県常陸太田市里野宮町1052に鎮座する神社です。

創建は延暦7年(788年)松澤の地に社を建てたのを創祀とされています。

延暦19年(800年)には村人が朝廷に依頼したことにより大連が派遣され「穢れ多い里よりも高山の浄境に鎮り給へ」と託宣があり賀毘礼之峰(かびれのみね、現:御岩山)に遷座しました。

更に大同元年(806年)には山が険しく人々の参拝が困難であるから小中島(常陸太田市里野宮町)へ遷座したとされています。

なかなか、神さま人物像が見えてきませんね。

単に荒々しい神だとしか伝えられてきていません。

次は速経和気命(はやふわけみこと)から探っていきましょう。

余談ですが常陸國風土記の久慈郡之条には薩都(さと)について以下のような内容が書かれています。


此より北に薩都(さと)の里あり。古、國栖(くず)あり。名を土雲(つちぐも)といふ。

ここに、兎上命(うかみのみこと)、兵を發して誅ひ滅しき。(悪人や罪のある者を殺すこと)

時に、能(よ)く殺して、「福(さち)なるかも」と言へりき。

因りて佐都(さつ)と名づく。

北の山に有らゆる白土は、畫(描かれた絵)に塗るべし。


凄く威圧的でどす黒い表現です。私たち民にとっては福(さち)になるとはとても思えませんね。

速経和気命(はやふわけみこと)

速経和気命(はやふわけのみこと)はたくさんの名前を持っています。

天足別命(あめのたらしわけのみこと)、武乳速命(たけちはやのみこと)、天見通命(あめのみとおしのみこと)、麻刀方命(まとかたのみこと)、太詔戸命(ふとのりとのみこと)、春日戸神(かすかべのかみ)、国辞代命(くにのことしろのみこと)などが伝えられいるが、一番有名な名前が天児屋命(あめのこやねのみこと)です。

日本神話に登場する神さまで、岩戸隠れの際、天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命と共に鏡を差し出した神さまです。

黄色い丸が天児屋命

黄色い丸が天児屋命

天孫降臨の際邇邇芸命(ににぎのみこと)に随伴した経歴をもち、中臣氏及び藤原氏の祖神(おやがみ)となったとされています。

ちょっとまとめ

あれ?不思議に思いませんか?

速経和気命=立速男命が中臣氏の祖神でした。

立速男命を賀毘礼之峰に遷座させた片岡大連は中臣鹿島連の祖です。

中臣氏の祖神を中臣氏が移したことになります。

その祖神はとても祟りが厳しく、村人たちを困らせていたのです。

何だが中臣氏の一人芝居の様にも見えてきましたね…

このままでは、不完全燃焼です。

次は賀毘礼之峰、土地を探ることにしましょう。

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